福澤諭吉の保険観 民間経済録より

慶應義塾保険学会 常務理事 宮内知有

 

 

21世紀の世界情勢は急速な人口の増加や地球環境の変化により、食料、水、エネルギー等の深刻

な問題を引き起こし、国家間で政治、経済、人権をめぐり紛争を展開しています。

福澤諭吉が生きた時代(1835~1901)は今日にもまして経済や軍事により国力の拡張を競う弱肉強食の厳しい世界でした。

特に西洋諸国は工業化の成功による生産技術の増大で圧倒的な力を得てアジア、アフリカ地域を自国の経済に容赦なく組み込みました。

 

一方鎖国を続けていた我が国では、アメリカのペリーが浦賀に、そしてロシアのプチャーチンが長崎に来航(1853年)、開国を迫りました。

1868年に幕藩体制が崩壊し、新たに発足した明治政府は欧米の列強諸国に侵略されまいと西洋文明を摂取し近代国家化を急ぎました。

 

福澤諭吉はそのような時代を背景として欧米から帰国の後、列強諸国と日本が対等に伍していくために、学問のすゝめ(1872年)にて「一身独立して一国独立する」との考えを披歴しました。

植民地化を防ぎ、近代化を成し遂げるために国家として、また国民個人として今何が必要とされ行動するのかを著したのです。

我が国において外国に及ばざるは、「学術」「商売」「法律」の三者であり世の中の文明はもっぱらこの三者に関しておりこれらが確立しなければ国の独立は得られないと。

さらに「商売」すなわち「経済」に関しては民間経済録(1880年)において通貨・金利・銀行・運輸・公共事業に並べて「保険の事」でその機能と重要性を著しています。

以下、福澤諭吉著作集・民間経済録 実業論(慶應義塾大学出版会)から一部を抜粋し引用します。

 

人生不時の災難に備え老後の覚悟を為すと否とは人々の性質にも由ることなれども、その用心覚悟を為すに容易き方便あれば、人情自ずから之に従う者多かるべし。 その方便とは即ち西洋諸国に行わるゝ保険の法にして、経済に最も大切なる箇条なり。

西洋諸国に行わるゝ保険とは、火災なり水難なり凶作なり又は死亡なり、すべて人間のたしかに期して免かるべからざる所の災難を衆人に平均して、独り大に不幸を蒙ること無らしむるものなり。また永年に平均して一時大に窮すること無らしむるものなり。

古人曰く、恒の産なき者は恒の心なしと。世の災害は恒の心なき者より起るを常とす。保険は人をして恒の産を失わしめざるの法にして、又随て恒の産を作らしむるの方便なり。

 

福澤諭吉は、このように国家も個人も独立のためには将来を展望し、それぞれ経済そして生計基盤の確立が重要とし、その一助に保険の機能と効用を示しました。

貧富の格差がもたらす紛争が世界的に拡大する今日の時代にこそ、福澤諭吉の考え方を広く伝えたいと考えます。

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