福澤百助と大坂の豪商「加島屋」(続編)

大同生命保険株式会社
コーポレートコミュニケーション部長
藤井 大輔

 
 

 大同生命では、本年7月に大阪本社(大阪市西区)の特別展示「大同生命の源流“加島屋と広岡浅子”」をリニューアルし、大阪くらしの今昔館(大阪市北区)等と共同で進めてきた加島屋研究の成果として、「加島屋本宅再現模型」を一般公開しました。

 

<参考>特別展示「大同生命の源流“加島屋と広岡浅子”」のご案内

 

 今回の研究は、いまから10年前、2012年に大同生命大阪本社の金庫室に保管されていた約2,500点の資料について、今後の歴史研究に資するべく、そのすべてを「大同生命文書」として大阪大学に寄託し、研究者による閲覧を可能としたことから始まりました。同時に、加島屋の創業から大同生命に至る歴史を紹介する特別展示を大阪本社でスタートし、順次内容を拡充しました。

 

 大きな転機となったのは、NHKの連続テレビ小説「あさが来た」(2015年度下期)です。明治維新で経営危機に陥った嫁ぎ先の加島屋を「九転十起」の頑張りで立て直した実業家・広岡浅子が、ヒロイン・あさのモデルとなりました。彼女の知名度を一気に高めたこのドラマでは、加野屋(ドラマでの呼称)の首脳陣が生命保険事業に参入するシーンも描かれています。

 

<参考>国民的人気ドラマで描かれた「生命保険の意義」

 

 そして「あさが来た」を機に、ゆかりの家に加島屋に関する資料が多数現存することも判明しました。それにより、加島屋の実態解明が急ピッチで進んだことを踏まえ、大同生命では、この10年の研究成果をより多くの方々にお伝えするため、創業120周年を記念して「加島屋に関する共同研究」の成果を公表することとしました。

 

 その中心に置かれたものが「加島屋本宅の再現」です。これは、諸資料から、現在の大同生命大阪本社ビルが建つ地にかつて存在した江戸時代の加島屋本家の屋敷で、どのような商いや暮らしがなされていたかを、30分の1スケールの精密な模型と人形で再現したものです。

 

 さて、今回公開した模型では、加島屋の当主が表座敷で中津藩の蔵役人に、今年の蔵米入札について報告するシーンを再現しています。これは、大同生命が所蔵する中津蔵判書帳(蔵屋敷の管理台帳)に加え、年間の財政収支などの多数の帳簿を中津藩が加島屋に提出していたという新事実を踏まえた描写です。今回の研究では、加島屋と中津藩との緊密な関係が読み解かれ、高槻泰郎編著『豪商の金融史』(慶應義塾大学出版会、2022年7月)で詳述されています(P108-135)。

 

<参考>模型のメイキング映像(8:47に上記シーンが登場)

 

 以前のコラム【福澤百助と大坂の豪商「加島屋」】で、福澤諭吉先生の父である百助と加島屋の関係をご紹介しました。百助は、大坂にあった中津藩(現在の大分県中津市)の蔵屋敷を管理する役人として、年貢米や物産を収納・換金する業務のほか、加島屋をはじめとする豪商を相手に、藩の借財の交渉にもあたりました。福澤先生も中津藩の蔵屋敷で生まれています。

 

 儒学で身を立てようと勉学に励んでいた百助は、大坂商人との窓口というミッションには不満があり、再三にわたって中津藩に異動願を出し続けるも、結局大坂で亡くなるまでの14年間、聞き入れられることはなかったようです(齋藤秀彦、三田評論2016年4月)。武士・学者でありながらも、ビジネスマンとして大坂商人ともしっかりと交渉ができる百助を、藩としてもなかなか動かせなかったということでしょう。

 

 福澤先生が生を受け、百助がその生涯を終えた大坂は、源流である加島屋の時代から、大同生命が企業活動の中心としてきた地です。2025年(加島屋創業400年)に開催される大阪・関西万博、さらにその先の未来に向かって、「世界最先端のサステナビリティ都市」であった「商都・大坂の魅力」を引き続き発信していきたいと思います。

 

以上

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