いつか来た道(自動車保険のアジアマーケット)

評議員 与謝野 稔

 

 

 大正3年(1914年)に日本で初めて自動車保険が登場してから、来年でちょうど100周年を迎えます[1]。当時、国内を走っていた自動車はわずか1,000台程度でしたが、現在では保有台数8,000万台弱、自動車保険・共済マーケットは約3.5兆円弱にまで成長しました。

 

 戦後の高度成長期にかけて日本の自動車保有台数は飛躍的に増加しましたが、当時は自動車の急増に対して、交通インフラや、各種取締り、ドライバーの運転技術・意識が追いつかず、交通事故が頻発、「交通戦争」といった言葉も生まれました。その他にも急激なモータリゼーションは、豊かさや利便性の享受といった反面、大気汚染、騒音、交通渋滞といった社会問題も引き起こしました。

 昭和30年には被害者救済を目的とした世界にも類をみない「自賠責保険制度」がスタートし、平行して自動車保険の普及も順調に伸びていきましたが、それ以上にモータリゼーション下での事故多発、人権意識の向上に伴う賠償水準の上昇、インフレによる修理費の高騰等により、自賠責・自動車保険ともに収支の悪化と料率改定といったサイクルを繰り返すような時代を経験してきました。

 

 損保業界としては、無事故へのインセンティブならびに保険料負担の公平性の観点から自動車保険においてリスク実態に基づく割増・割引の導入、業界ベースで適切な損害査定を行うための人材育成を目的とした「自動車保険研修センター」の設立、ユーザーの事故時の利便性を高める仕組みとしての「示談代行」や、「一括払い」の導入といった、環境変化や時代の要請に応えて様々な取組みを行ってきました。さらに、自由化以降では、自らの過失分も含めて人身事故による損害を補填する「人身傷害保険」が開発されています。

 また、被害者救済といった観点からは、政府保障事業や、国や民間保険会社による被害者救済・自動車事故防止事業への拠出といったことも行われてきています。

 

 一方、近年のアジア各国に目を向けてみると、高い経済成長に支えられ、自動車保有台数の急増は目覚しいものがあり、まさに戦後の日本におけるモータリゼーションを見ているようです。今後、アジア各国では前述したような過去に日本が経験した各種問題に直面していくのではないかと考えます。

 既に国土交通省では、「登録・自賠責保険等の自動車安全に係る制度、運輸安全マネジメント制度などの我が国の安全に関する制度・基準の海外展開を推進する」ことを「これからインフラ・システム輸出戦略」[2]とし、また損害保険料率算出機構でも「料率算出等に関するスキル・ノウハウの提供や情報交換を通して、諸外国、特にアジア諸国の関係機関との交流を強化し、当該国における会員の事業展開やマーケットの安定的成長等に資する取組みを行う」ことを、「今後の10年ビジョン」[3]のなかで掲げております。

 

 これらは勿論、低成長時代に入った日本が高成長を続けるアジアマーケットに活路を見出すという経済的な面が大きいとは思いますが、こうした面のみならず、官民が連携したうえで、かつ日本における過去の経験を活かして、「保険制度の健全な運営を通じて、その国の経済発展や豊かな交通社会の実現に寄与する」、「悲惨な自動車事故被害者を軽減する」といったような高い志を併せ持って参画することが、アジアマーケットでの日本のプレゼンスを高めることになるのではないかと考える次第です。



[1] 生命保険会社協会「明治大正保険史料 第四巻第一編・第二編」昭和17年より。東京海上保険株式会社(当時)が大正3年2月に自動車保険の認可を受け、3月より販売を開始。

[2]国土交通省「インフラ海外展開推進のための有識者懇談会最終取りまとめ「これからのインフラ・システム輸出戦略」について」 2013年2月15日

http://www.mlit.go.jp/report/press/sogo05_hh_000076.html

 [3]損害保険料率算出機構「損害保険料率算出機構 今後の10 年ビジョン(2013~2022 年度)」2012年8月22日

http://www.giroj.or.jp/news/2012/120822

 

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