阪神・淡路大震災とオーラルヒストリー

損保OB 阪神・淡路大震災の語り部  瀬尾征男

                  元 東京海上火災保険(株)取締役神戸支店長

                  元 東京海上リスクコンサルテイング(株)社長

 

 

  早いもので、1995117日発生の阪神・淡路大震災から間もなく22年目になります。震災当時、小生は、東京海上の神戸支店長をしておりました。昨年の春頃、元損保協会の泉瑞さん、元損保ジャパンの児島さんとお会いし、彼らの防災活動の話を聞きながらオーラルヒストリー(後述)の話をするうちに、その話を聞きたいと、ある講演会に引っ張り出されました。

 

  1997年、東京海上リスクコンサルティング(株)社長に就任早々、(財)阪神・淡路大震災記念協会の委託を受けて調査を実施していた京大・林教授(現・防災科学技術研究所理事長)の研究グループ「阪神・淡路大震災エスノグラフィー」に出会い、そのお手伝いを6年間に亘ってすることになりました。

 

  災害エスノグラフィー(Disaster Ethnography)は、実際に被災した人、あるいは災害対応に従事した人にとって、災害がどのように映ったのかを明らかにすることを目的としており、災害現場に居合わせた人の視点から災害現象を系統的に整理し、災害についての理解をより深めることにより、災害現場で採用され適用されていた暗黙の原則やルールを明らかにし、今後の災害対応をより効率的にすることが可能になると考えられております。その研究グループのメンバーや6年間(19982003年)に亘ってインタビューにご協力頂いた方々、村山首相はじめ31名は、別紙「阪神・淡路大震災エスノグラフィーの概要」の通りです。

 

阪神・淡路大震災エスノグラフィーの概要

 

  2003年に退職しましたが、その2年後(2005年)に震災当時の話をせよとインタビューを受けたのが小生のオーラルヒストリーです。

 

  これらのオーラルヒストリーは当初30年間非公開としてインタビューされたものですが、震災後20年を経た今、封印が解かれ研究資料として公開されております。

 

  (公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構・研究調査本部に資料が保管されていますから、そちらに依頼すれば誰でも見ることができます。

 

  さて、小生の講演内容ですが、オーラルヒストリーの内容を話すに過ぎず、至って常識的な当たり前の話です。

 

1.災害時対応におけるポイントとして

 

  トップの重要性 ② 情報の重要性 ③ 現場主義 

 

2.危機管理の大原則

 

  自分のリスク(命)は自分で守る。

(自分で考え、自分で行動し、その責任は自分で持つ)

  一人では生きていけない。仲間が大切だ!

(家族の重要性・日常の活動とネットワークの大切さ)

  平時が重要だ。

(日常からリスク管理する習慣を身に着けておかないと、いざという時に間に合わない)

といった内容です。

 

  先日、中満泉(なかみついずみ)さん・国連開発計画・危機対応局長(緒方貞子さん・国連難民高等弁務官の娘さん)の話の中に、これだ!といった言葉がありました。

『リーダーシップとは、ポジションが高い人だけに求められるのではなく、誰もがそれぞれの場所で発揮していくべきものなのです』

『最も重要なことの一つは、前例に縛られるのではなく、“これが正しいことだからやる”と勇気を持って決断すること

 

  こういった言葉に接すると、福島・原子力発電所の事故を思い出します。東電の現場にいた吉田所長の話をもっと早くから聞いていれば、もっと違った解決ができたのではなかっただろうかと。

 

  講演で、震災体験で良かったことを挙げて下さいと云う質問を良く受けます。

 

1つ目は: 震災発生時に神戸の現場にいたということ。

 

あの日は連休明けの火曜日でしたから、本社の会議や休暇などで神戸に居ない可能性も大いにありました。その場にいて現場を見たうえで支店長としてのリーダーシップをとることができたのは幸いでした。

 

2つ目は: 大阪支店に一時避難した時、会社のヨット部の仲間から「神戸の海にお客さんの船が余っているので活用できませんか?」と言われ、すぐに30人乗りの通船を2杯チャターできたこと。

 

お蔭で大阪から神戸まで他の交通手段がないところを30分で行き来できました。

 

3つ目は: これが一番重要でかつ良かったことだと思いますが、4日目の金曜日に支店社員全員の安否確認ができた後、全員の行動パターン、意思が統一されたこと。

 

「先ず自分の命を守ってくれ、その次に家族、代理店さんを助けよう!人の命と衣食住を守ることが最優先、業務は後回しで構わない。私が全ての責任を負う。通常の権限規定・マニュアルは忘れていい。私の権限は全て下位の支店長・課長に渡す」と言い渡し、この際言いたいことがあれば何でも言っていいと言ったところ、誰からも何も出ませんでした。そこで暫く皆とは会えないなと言い、解散しました。後日判ったことですが、私が各支店長・課長に渡した権限は、また彼等が各現場の担当者に渡したそうです。これが意外と上手くいきました。一人一人が自分で考え、自分で責任を持って、自分のやりたいことをやってよいとなると、人間というものはものすごい能力を発揮するものなのですね。心配された年度末の営業成績も無事に達成されました。        

 

以 上

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