プロテクションギャップ:現状改善に向けた課題

ジュネーブ協会アドバイザー兼

日本・東アジア地区リエゾンオフィサー

                              松下 勝男

 

 

プロテクションギャップ(protection gap)とは、「社会、経済に保険が果たすべき総ポテンシャルと実際に購入された保険や付保状況とのギャップ」をさすが、保険の普及を推進することによって、このギャップを埋めるべく方策を検討することは数年来、ジュネーブ協会の主要研究テーマのひとつである。

 

最近、保険業界が積極的にリスクをとるよう、公的機関から背中を押す動きがみられるようになった。例えば、(1)昨年12月にパリで開催された COP21 で採択された「パリ協定」では気候変動に対する「緩和策」と「適応策」の重要性が改めて確認された事に加えて気候変動によってもたらされる損失と損害への対処に関して保険の有効性が明記された。実際に、国連や世界銀行などからジュネーブ協会や会員保険会社に、途上国における気候変動リスクに対処するための保険スキームの構築に向けた協力やノウハウ提供の依頼が来ている。

(2)一部の例外を除き、アジア各国では、出生率の低下と平均寿命の大幅な伸長によって高齢化が、今後、加速度的に進む。ASEAN では、高齢化率(65歳以上の人口比率)が7%から14%に達するのに要する年数(倍加年数は)ミヤンマーとフィリピンを除き日本と同等か、それよりも短い(日本総合研究所 大泉敬一郎氏)。これは、将来、政府財政にゆとりがなくなることを意味する。最近中国はじめアジアの監督当局のトップが保険分野のセミナーで来賓挨拶をされる際に「今後は、大きな災害が発生した際に政府が事後的に財政支出によって被災者を全面的に救済する余力は減るだろう。従って、保険業界が事前に保険の普及を図ることが極めて重要である。積極的にリスクテイクを推進すべき。高齢化社会に不可欠な医療、年金等についても民間保険が担う役割を増やしてほしい」と。

 

こうした「期待」の追い風が吹く中で、実のところ保険の普及、役割の拡大には課題も多い。(1)途上国における気候変動リスクに対処する保険スキームの構築に関しては、質の高いデーターの整備や、農村など地方に販売・サービスチャネルを低コストで展開することが課題である。(2)金融危機以降、IAIS(保険監督者国際機構)では、健全性規制の強化を図って来てのおり、現在、ICS(risk-based global insurance capital standard ) をはじめ検討を進めている。また、ERM 推進の柱としてORSA(own risk and solvency assessment) の実施が不可欠になり、保険会社は常時、リスクテイクによって生じる必要資本が利用可能資本以下であることを確認する必要がある。そのためには、特に自然災害リスク等の算出においてリスクモデルの開発またはベンダーからの購入が必要になるが、これにもデーターの蓄積が不可欠。

生命保険に関しては、ECB(欧州中央銀行)と日銀などがマイナス金利を導入するなど、低金利が続いるが欧州の保険業界の苦悩とフラストレーションは高止まり。市場では商品の一部を売り止めする動きもある。

 

また、アジアで開催される保険関係の会議で、欧米保険業界のトップがスピーチで、プロテクションギャップを語る際に、途上国や新興国で際立った問題であるかの如き発言をする場合があるが、先進国の課題でもある。例えば米国では、活断層が走るカリフォルニア州で地震保険の付保率が減少傾向にある。また、生命保険を購入する世帯の割合の減少も止まらない。 背景として、中間層の所得の伸び率低迷や、若い世帯における可処分所得の使途の優先度が、通信費や娯楽費、旅行費用に向かい保険購入の優先度が低いことなどが挙げられる。

 

世界の主要国で企業のトップやリスクマネジャーを対象に「貴社を取り巻くリスクの中で何が最大の懸念ですか」とアンケートをとると、最近では、サイバー攻撃とその被害に伴う風評リスク(ブランドの毀損)、サプライチェーンのリスクなどを挙げる回答が多い。こうした新しいリスクへの積極的な対応も「社会に役に立つ保険業界」の証明に重要であるが、健全性規制の枠組みの下、何らかのモデルによってリスク量を図り引き受けの可否を判断する必要がある。モデル化になじまないリスクへの対処が喫緊の課題であろう。

 

イノベーションによって、人工知能搭載製品や自動運転車両の普及が広まれば、事故時の責任の所在範囲などの法整備が求められてくると同時に、それに適応した新たな保険カバーも開発しなければならない。

また、経済のサービス化に伴って、企業の投資が、フィジカルなもの(建屋、製造ライン、機械設備など)からノンフィジカルなもの(ブランド構築、サイバーリスク対応のためのソフト購入、人材育成、研究開発など)にシフトしていくが、ノンフィジカル投資を保険に取り込むことは、チャレンジ度の高い課題。今日も、世界のどこかで保険会社のスタッフやコンサルタント、研究者が知恵を絞っている。

(了)

 

 

注:ジュネーブ協会(The Geneva Association:正式名称は国際保険経済研究協会 The International Association for the Study of Insurance Economics)は1973年に設立された非営利団体のシンクタンク。本部は長らくジュネーブにあったが、2015年にチューリッヒに移転。金融安定化と保険、巨大自然災害と気候リスク、高齢化問題などに取り組んでいる。詳細は www.genevaassociation.org 参照

注:松下氏は、1969年、東京海上火災(現在、東京海上日動)に入社、ニューヨーク駐在員、海外経理部長、経営企画部部長など経て2002年退社。2002年7月から2009年6月の間、日本損害保険協会に国際部長として勤務。2009年10月以降、現職。

(その他)2004-2008年、及び2012年- 現在までAsia Insurance Industry Awards の審査パネルの委員を務めている。

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