「想定外」という言葉

(株)日本総合研究所 フェロー

(株)サービシーズ・アンリミテッド 代表  毛利 俊夫

 

 

 2011年3月11日の東日本大震災から4年がたった。この大震災をリスク・マネジメントの視点から整理するとリスク・アセスメントとダメージ・コントロールのいずれにも大きな教訓、それも住民、行政、企業のいずれもが忘れ去ろうとしている教訓を見ることができる。

 

 

 リスク・マネジメントは、リスクの想定・予知・予防という事前のプロセスとリスクへの対処・復旧という事後のプロセスがあることはどんな教科書にも書いてある。しかし現実の企業や組織において具体的なプロセスを明示していることは稀で、教科書のように非常に抽象的であることが多い。

 

 

 さらに問題なのは、行政・企業などでは、社会が急速に変化するなかでリスク・マネジメントの対象を固定していることであり、また対象の範囲が狭すぎることである。リスクの種類は増えることがあっても減ることはないのであり、またリスクの影響は想像以上であることが多い。その結果「想定外」という言葉を聞くことが多くなったようだが、この言葉は「言い訳」に便利な言葉として使う傾向がないだろうか。

 

 

 想定外ということは、想定する人の想像能力が劣っている、あるいは対処の方法が判らないから目をつぶる、ということではないだろうか。言い換えればリスク・シナリオの描き方に問題があるということができる。

 

 

 社会が大きく変革しようとするときには過去のトレンドからスケールの大小だけを考えても無意味であると同様に、リスク・アセスメントではリスクの規模だけでなくリスクの範囲を幅広くとらえてシナリオを作成する必要がある。想定外ということは、シナリオの範疇に入っていない事象が発生したことを意味する。3・11の教訓はリスク・アセスメントとダメージ・コントロールの両面において作成したシナリオが貧弱であったことであるといえよう。

 

 

 幅広い視野からシナリオを作り、その中から望ましきシナリオ、あるいは実現可能なシナリオを選ぶという作業は一般的に行っているようであるが、実際には客観性をもって幅広い視野から多くのシナリオ代替案を作成することは容易ではない。だからこそ「想定外」という言葉が頻繁に耳にすることが多いのではないだろうか。シナリオ作成において、「絶対」という言葉はないといってよいのである。

 

 

 円安のおかげで日本経済に明るさが見えたといっても、なんとなく明るい未来がみえないのは規模の大小ばかりが話題になって、革新的ともいうべき範囲の広さがないのではないだろうか。米国の39代大統領であるカータ―大統領は教育省を設立したが、それは暗黒の未来とバラ色の未来という両極端な未来シナリオの中から、実現可能でかつ望ましき社会を作るためには教育が最も重要と考えたためである。

 

 

 企業や政府のみならず、個人においても「想定外」と言って慌てなくてもよいように幅広い視野を持って将来シナリオを構想する能力を高める必要があるのではないだろうか。

 

 

以上

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