With Cool Heads but Warm Hearts  Ⅲ  眞の勉強

商学博士 真屋尚生

 

 

「齷齪勉強すると云ふことでは決して眞の勉強は出来ないだらう」(福沢諭吉『改訂 福翁自伝 慶応義塾大学第109回卒業記念』岩波書店)という言葉に意を強くしたわけではありませんが、いつのころからか「学び心」と「遊び心」で本業本筋とはかけ離れた事象に何かと関心を持って暮らしています。その一つがB級映画「研究」です。

 

2014年秋に亡くなった、文化勲章を固辞していれば、男を数段上げることができたであろう高倉健さんは、その前年の勲章受章後、映画では「ほとんどは前科者をやりました。そういう役が多かったのにこんな勲章をいただいて・・・」と語ったそうです。このセリフ、なかなか味わい深く、クールで滑稽ですね。彼の代表作の一つに「網走番外地」シリーズがあります。シリーズ最高傑作の第1作(白黒作品)の舞台は網走刑務所で、受刑者の劣悪過酷つまり不健康で反福祉的な暮らしぶりが、誇張され戯画化されて描かれています。このシリーズは東映制作ですが、その前に純情可憐そうに見えたころの浅丘ルリ子さんがヒロインを演じた日活版の「網走番外地」があることを知る人は、よほどの日本映画通です。映画通をもって任じられていらっしゃった本学会(前)理事長の庭田範秋先生も、さすがにご存じなかったはずです。

 

*庭田範秋先生と私の師弟関係については、拙稿(2011)「お別れのことば」庭田範秋先生追悼文集編集委員会編『天道天運天命―庭田範秋先生追悼文集』慶應義塾大学出版会を参照されたい。

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網走刑務所(網走監獄)には、第2次世界大戦直後まで、凶悪犯とともに、歴史的な悪法・治安維持法などによって有罪を宣告された「政治犯」や「思想犯」なども収監されていました。それかあらぬか、「網走番外地」シリーズと並ぶ、健さんの代表作「日本侠客伝」「昭和残侠伝(唐獅子牡丹)」両シリーズは、その筋の人たちだけでなく、全共闘世代の反体制派(もはや死語?)の多くの若者の支持を集めました。当時、健さんファンであった友人の話によると、健さん演じる正統派?やくざが義理と人情の狭間で耐えに耐えた後に爆発させる意気地に、多くの若者が感情移入して声援を送り、週末の深夜の映画館は、しばしば異様な熱気に包まれたそうです。Cool Headはともかく、Warmよりもっと熱かったであろう、折り目正しいやくざのHeartに、きっと多くの若者が共感し共鳴したのでしょう。

 

『論語』「陽貨」には次のくだりがあり、孔子先生は賭博礼讃者であったわけではないでしょうが、ダラダラグウタラ過ごすよりは、バクチでもするほうがましだ、とおっしゃっています。「飽くまでも食らいて日を終え、心を用うる無きは、難いかな。博弈(ばくえき)なる者有らず乎。之れを為すは、猶お已むに賢れり。」(吉川幸次郎『中国古典選5  論語 下』朝日新聞社)。でも、賭博を「職業」にする世界では事情が違ってきます。鉄火場にも出入りしていた、という戦中派世代の山口瞳さんの『酒呑みの自己弁護』―『福翁自伝』ほかで、福沢先生の酒好きは有名なので、この種の本を参照しても許されるでしょう―によると、やくざには義理とか人情はなく、すべて経済闘争、ということになります。見方によってはWarm Heartにもつながる、あの世界でいう侠気や任侠は、虚構の世界でのお話です。

 

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アメリカ映画―ミュージカル作品も一部あり―には、新旧硬軟入り混じり、刑務所を舞台にした快作・怪作・佳作・愚作・傑作・拙作・大作・駄作・珍作・凡作・名作・力作・労作が目白押しです。思いつくままに観たことがある作品を列挙します。邦題はお調べください。The Shawshank Redemption1995年『キネマ旬報』外国映画ベスト・テン1位)ほか、Jailhouse Rock, Cool Hand Luke, Papillon, The Longest Yard, Midnight Express, Escape From Alcatraz, Murder in the First, The Green Mile, Chicago, Escape Plan, さらには、Stalag 17, The Defiant Ones, The Great Escape, などなど。

 

邦画はB級の花盛り。梶芽衣子さんの当たり役「女囚さそり」シリーズ、松方弘樹さんの「脱獄」3部作、勝新太郎さんの「海軍横須賀刑務所」、慶應義塾高校に在籍したことがあるらしい阿部譲二さん原作の「塀の中の懲りない面々」「塀の中のプレイ・ボール」、漫画が原作の「修羅雪姫」「刑務所の中」などなどで、残念ながら、アメリカに比べ、質的に貧弱で、際物的な作品が目立ちます。お国柄や国民性によるところもあるでしょうし、日本社会が健全?だからかもしれません。

 

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鉄火場―今日でいう反社会的勢力に相当するヤクザなどが開いていた非合法の賭(博)場―からの連想で、過去においては賭博と保険の境界が曖昧で、賭博保険なるものが存在していた時代がヨーロッパにあったことを、ふと思い出しました。加齢とともに増えてきた、こうした現象を私は「突発性記憶覚醒症候群YM型」と呼んでいます。確かに賭博と保険の技術的仕組みには確率論(大数の法則)の応用という共通の側面があります。さらに、賭博で勝つには、絶対にCool Headが必要であり、保険経営においても競争に打ち勝つには、Cool Headが不可欠、という共通性もあります。

 

もう一つ、何の脈絡もなく、月去り、星が移った今になって、思い出しました。学生時代に、さる著名な先生から、次の3つの教訓をいただきました。1つ、ヤブ医者に治療を受けることなかれ!ヤブにかかると、助かる命も助からない。だが、医者の世話にならず、生涯を全うすることは難しいし、医者選びはもっと難しい。2つ、ヘボ弁護士に弁護を依頼することなかれ!ヘボに頼むと、無実の罪で刑務所送りになる危険性が増す。それどころか、死刑を宣告されることになりかねない。弁護士に頼ることなく、一生過ごすことができれば、幸せだ。3つ、ボンクラ教師に指導を受けることなかれ!ボンクラに教われば教わるほどバカになる。その点、君(私・真屋のこと)は良師に恵まれ幸運だね。

 

よき師との出会いは偶然によるところ大です。問題は、そのあとで、よき師から、何を、どのように学び、自らの思考と行動に反映させうるかです。似たようなことが、よき先輩や友との関係についてもいえそうです。人付き合いには煩わしい一面もありますが、「之れを為すは、猶お已むに賢れり」といったところでしょうか。

 

続く

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