「商品としての保険」と「制度としての保険」(その2)

獨協大学経済学部 教授 岡村 国和

 

 

さて、今回は「商品としての保険」の商品性について、もう少し保険の理論的視点から見てみましょう。長くなりますが最後まで読んで頂けると嬉しいです。

 

(1) 「給付・反対給付均等の原則」は、別名「保険料率の数理的公平の原則」または「保険契約者平等待遇の原則」とも言われ、「支払う保険料は、受け取ることのあるべき保険金の数学的期待値に等しい(個別保険料率)」ことが求められます。保険で言う「個別保険料率」は一般の商品で言うところの市場における商品価格の「等価交換性」に繋がります。商品(commodity)は「売られるために作られる」ものですから、必ずしも売られる目的のないもの、例えば製品(products)とは違います。製品は市場に出て初めて商品になります。(このあたりマーケティングの本でもかなり不統一ですが。)

 

では、「売られる目的で作られたものではないない保険」とはどのような性格を持っていのでしょうか?基本的にはこれを私は「制度としての保険」と位置づけています。つまり、商品の特性を有しないが、保険としての仕組みや機能は有している保険。これを「制度としての保険」と位置づけたいと思っています。市場においては商品の価格は「等価交換」で、自由に選択(購入)できることが大原則です。つまり買うか買わないかは消費者の自由選択領域であり、強制的に買わされるものを商品というのは形容矛盾であると思います。そもそも市場が成立していません。例えば「強制的に加入させられる(しかも平均保険料率で低リスク者から高リスク者への内部補助のある)自動車損害賠償責任保険」を「買う」と表現するにはやや違和感があるでしょう。ちなみに、厳密には商品でないもの(土地、労働、資本など)を市場という概念で商品であるかのように取り扱う事を「擬制商品」化といいます。

 

(2) 次に「給付・反対給付均等の原則」と「収支相等の原則」の位置関係について考えてみましょう。当然なことですが、「重要ではあるが保険者として経営的にペイしない場合」には、資本主義的企業は商品にはしません。しかし、国民の健康や幸福のために必要なものについては国家が代わりに保険者になり保険化(社会保険などの政策保険)します。もちろん国・公営ですから「非営利で原価のみ(ほとんどの場合、事業費は国庫負担)」です。しかし、制度的に自立していなければなりませんので、政策的見地から保険料や保険金に国庫が援助して赤字補填し「仕組みとして自立させる」こともあり得るのです。

 

 「給付反対給付均等の原則」は成立しなくても、少なくとも「収支相等」は成立しないと制度として崩壊します。そこで「個別保険料」を修正・廃止して「平均保険料」とし、更に政策的に所得比例要素を加味して「所得の垂直的再分配」(格差是正)という形になることが多いのです。ちなみに健康保険の料率は57段階(1級から57級まで)の「標準報酬月額」に応じて所得比例要素を加味し、格差是正、経済的弱者保護を行っています。この場合には応能拠出なので、保険料が高いからと言って特別の診療を受けることができるわけでなく、公平な扱いを受けます。また、厚生年金保険もこの標準報酬月額(1級から30級まで)を用いますが、所得に応じて支払った保険料(拠出月数を乗じる)に応じて報酬比例部分の年金額も高額になります。医療と年金では扱いが異なりますが、共に「社会的公正」の原理に基づいています。このあたりは、J. Rawls の「公正としての正義」を読むと一層興味が湧くでしょう。

 

 

(その3に続く)

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