「商品としての保険」と「制度としての保険」(その1)

獨協大学経済学部 教授 岡村 国和

 

 

「近代保険(業)はどの様にして近代保険(業)になったのか?」は、保険史の研究者だけではなく保険理論の理論研究者にとっても大きな関心事です。そこで、まずこの点について簡単に保険史に関する私の考えをご紹介したいと思います。

 

下記のストーリーは初学者の学生さんをイメージして書いていますので、かなりデフォルメしてあり、経験豊かな現役・OBの方々にはまさに釈迦に説法ですが、何卒ご容赦下さい。より詳しく知りたい方は、田畑康人・岡村国和共編著『読みながら考える保険論 増補改訂版』(八千代出版、2013)の保険の歴史を併せて読んで頂けると幸甚です。

 

(1) 前近代的海上保険は12世紀頃の海上保険類似制度(冒険貸借・無償貸借・仮装売買)を経て前近代保険になりました。また、前近代的生命保険と前近代的火災保険はともに「共同体」内の助け合いから発展し、保険協同組合や友愛組合を経て前近代生命保険・前近代火災保険に発展しました。この傾向は全世界的に見られます。すなわち、保険のルーツは2系統あるということになります。

 

(2) その後、イギリスで産業革命が起き、まず需要側の要因として、近代化に伴う「個人主義(自己責任)」と「私有財産制」から、「自分の財産は自分で守る」という意識が芽生えます。そして産業革命による生産力の拡大により私有財産が増加し、都市労働者の賃金も(精神的助け合いから)金銭負担による「近代的助け合い」(この時点で精神的助け合いは希薄化(高田保馬の「結合定量の法則」)に移行していきます。それと同時に供給側の要因として産業革命による産業資本の拡充を背景に、近代(保険)業は担保力を補強しました。   

 

こうして市場の成立要件が整ったのです。近代保険は、市場において「商品」としての要件を備え、近代化の背景にある科学技術の進歩により、保険技術(大数の法則の精緻化)による保険料計算の合理性も高まりました。これが世界中にあった前近代的保険が「なぜイギリスにおいて近代保険に変容したか」の経緯です。

 

(3) 他方、産業革命と近代化に遅れたドイツでは、商品の国際競争力に後手を拝したため、近代的工業化の遅れを「低賃金」でカバーしようとし、その結果猛烈な労働運動が発生しました。ビスマルクはこれを鎮圧(ムチ)するために、イギリスより一足早く社会保険(アメ)制度を導入したのです。つまり、社会保険は発生当初から「商品としての保険」に後れを取り、政策性が付与されて今日に至っているのです。

 

(4) したがって、「商品としての保険」は「商品」であることの要件と「保険」であること」の要件を同時に満たす必要があります。「制度としての保険」は各種の政策が加味されたため、「商品」性を緩めて「制度」として整備されてきた保険です。

                                                                (その2に続く)

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