損保ジャパン日本興亜社友会
事務局長 檀原 彰
サラリ-マンの退職者は、これから何をして過ごしていくかを思案し、何か目的を持たなければならない、残された人生を計画的に送らなければならないという強迫観念に追い立てられます。若者も中高年も自分探しに明け暮れています。
私も、現役を退いたら何をやろうかと思案しましたが、若い頃から散発的に読んでいた小林秀雄を読むことを決意し、平成22年から全集(32巻)を読み始めて、やっと第23巻まで読み進みました。小林秀雄は難解ですが、読書は「信頼する人間と交わる楽しみ」であり、何度も読み返しているうちに、はっと理解できる時があります。
私は、現役時代に、能力開発部に所属し、新入社員から部長・支店長までの教育を担当しておりました。保険料率の自由化、生保事業への参入など、損保業界を取り巻く環境が激変する時代であり、また、社員一人に一台のパソコンが配備され、情報発信や情報共有のあり方が様変わりになった時代でした。社員が保険のプロフェッショナルになるために、業務知識・スキルを中心にした教育研修体系を作りました。たくさんのマニュアルも作りました。しかし、「人は便覧(マニュエル)をもって右に曲れば街へ出ると教える事は出来る。然し、坐った人間を立たせる事は出来ない」という小林秀雄の言葉は、現代の教育において忘れられてきたことをずばり指摘しております。
「天才とは努力し得る才だ、というゲエテの有名な言葉は、殆(ほとん)ど理解されていない。努力は凡才でもするからである。然し、努力を要せず成功する場合には努力はしまい。彼には、いつもそうあって欲しいのである。天才は寧(むし)ろ努力を発明する。凡才が容易と見る処に、何故、天才は難問を見るという事が屡々(しばしば)起るのか。詮ずるところ、強い精神は、容易な事を嫌うからだという事になろう」
「実行家として成功する人は、自己を押し通す人、強く自己を主張する人と見られ勝ちだが、実は、反対に、彼には一種の無私がある。空想は孤独でも出来るが、実行は社会的なものである。有能な実行家は、いつも自己主張より物の動きの方を尊重しているものだ。現実の新しい動きが看破されれば、直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人だ。物の動きに順じて自己を日に新たにするとは一種の無私である」
こうした小林秀雄の言葉が、解決の出来そうな目標か空想的なビジョンを掲げて、坐っている、組織のリーダーを立たせることが出来るかもしれない。