保険と人格そして信用とは

 甲南大学非常勤講師

                          元東京海上日動火災保険

平生釟三郎研究者

                               高田博次

 

 

 

   「保険の事業は信用を基礎としている。その信用は独りその会社の資産の大小に止まらず、これに従事する社員の人格及び行動と密接な関係を有している。商売上の信用は正に無形の財産であり、有体財産の蓄積はその結果であることから、経営者は社会の信用ならびに一般取引関係者の信頼を得るために最上の努力をしなければならない」。

 

  これは、旧東京海上火災の中興の祖、当時火災保険協会長でもあった各務鎌吉(かがみけんきち) があの関東大震災翌年の大正13年、専務時代に若い社員へ書き残した『海外派遣員心得』(同社元常勤監査役、前島伸行氏の現代語訳版。以下『心得』) にある言葉である。

 

  研鑽の指針にという『心得』では「信用は一朝一夕に獲得できるものではない。個人的人格の修養及び平素の行動に対する深い注意を間断なく持続することによって始めて善良な慣習が作られ、その慣習が内には性格となり、外には信用を招来する—–才能技術は出世の要件に相違ないものの、人格がこれに伴わなければ信用を傷つけ、危険視され—–才能を必要以上に頼りにしてはいけない。生涯を通じて安心立命の要素となる品性の修養に専念しなければならない」と述べている。

 

  実は、同社には中興の祖がもう一人いた。東京高商首席卒業者の各務と同様、高商を首席クラスで卒業した平生釟三郎(ひらおはちさぶろう)だ。二才年上の平生は、各務に二年遅れて、二人の恩師矢野二郎校長の強い説得で教育界から中途入社した逸材。後年、平生が広田内閣の文部大臣になり、その後就任した旧日本製鐵の会長時代、昭和13年の定時株主総会で、各務はその平生の取締役退任と功労慰労金贈呈を提案した。満場一致で可決されたその場面が、同社の80年史に詳述されている。各務は、異例のことであったが、倒産の危機が迫り二人が支店閉鎖の苦渋の決断をしたロンドン勤務時代以降、40年に及ぶ平生と共にした長い経営の曲折を振り返り述懐。平生を中興の人と言っていることから、中興の祖が各務と平生の二人であったことは明瞭である。

 

  平生は東京海上の専務を辞しても各務の強い意向で、他社勤務も可能な無任所の取締役として留まっている。そして平生が情熱を傾け創立した神戸の旧制甲南高校(中高7年制)でも、校長として、知育偏重教育を排し、重視したのが信用と人格教育だった。とくに平生の人格教育の根底には、幼少時に武士の父から徹底して鍛えられた武士道精神があり、平生の人格教育では、天道を畏れ、人間として卑怯なことや恥ずべきことを強く自制。弱者をいたわる憐憫の情など、彼が目指す共存共栄に必要な徳目を挙げ、薫陶されていたようだ。奇しくも、平生校長を全面的に支えたのが、伊藤忠中興の祖と言われた二代目忠兵衛氏で甲南学園の中心的理事でもあった。同氏は近江商人。家訓の「商売は菩薩の業」は、あの三方よしの精神「売手よし、買い手よし、世間によし」にも通底している。

 

  当時と比べ、今日の保険事業は著しく発展進化している。しかし、それを根底で支えるべき人達の人格と信用にたいする教育が果たしてその進歩に相応しいものになっているのか。各務の『心得』には「危険に対して平均の数理及び循環の天理を基礎として保険事業が営まれる」とあるが、未だに保険金不払い問題など思わぬ不祥事に悩む保険業界では、数理のほかに自然の理法とも言える天理、そして人格と信用ということへの見直しが急務ではないだろうか。

 

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