ESGリスクと保険業

慶應義塾大学商学部講師
内藤 和美

 

 最近、ニュースで印象に残る記事を目にしました。米国IT大手のアップル社の株主総会で、D&I(Diversity Equity and Inclusion)の取組みの廃止を求めた株主提案が否決されたというものです。米国ではトランプ政権の下、企業などにおいてDE&Iへの取組みを見直す動きが相次ぐ中、アップル社はこうした流れとは一線を画したといえます。同社のティム・クックCEOは、「私たちの強さは、最高の人材を雇用し、多様な背景や視点を持つ人々が集まってイノベーションを起こす協業の文化から生まれてきた」と述べて、引き続き多様性を重視する姿勢を強調しました。

 

 ここで、アップル社のDE&Iの取組み廃止を求めた株主は、その主張の根拠として、DE&Iの取組みを推進することは、企業に訴訟リスクや風評リスク、財務リスクをもたらすものであると述べています。つまり、株主はDE&Iの取組みの意義そのものを否定したというよりも、その取組みを推進することにより、企業にとってマイナスの影響がもたらされる可能性(リスク)があることを指摘した、という見方ができると思います。

 

 DE&Iは、いわゆるESG(Environment:環境、Social:社会、Governance:ガバナンス)と親和性が高く、例えば、人的資本における多様性の確保(S)やコーポレート・ガバナンス・コードに基づく取締役会における多様性の考慮(G)などの文脈で語られることがあります。企業経営および投資活動において、ESG要素を考慮すべきであるという社会的な要請は、米国の反ESGという傾向が見られる中でも、年々高まっているとされます。保険業もその例外ではなく、保険は2つの重要な機能(リスク負担・分担機能と金融仲介機能)を有することから、保険業は、「ESGを重視する経営」と「ESG投資」という2つの側面においてESGと密接に結びついており、従って、ESGを重視する傾向は高まっているものと考えられます。

 

 一方で、近年、欧米諸国を中心に「ESGリスク」という概念が注目を集めています。ESGリスクについて確立した定義は見当たりませんが、環境リスク、社会リスク、ガバナンスリスクを包含する幅広い概念として捉えられています。具体的には、企業が気候変動への対応を誤まることやグリーンウォッシングに係る環境リスク、サプライチェーンにおける人権侵害やソーシャルウォッシングなど社会問題に係るリスク、ガナバンスの機能不全やコンプライアンスの欠如、サイバーセキュリティ体制の不備などガバナンス関連リスクが含まれます。これらESGリスクは、アップル社の株主が指摘する企業の訴訟リスクや風評リスクの原因となりうるものです。

 

 保険業は前述のとおり、ESGと密接に結びついていることから、保険会社自らがこうしたESGリスクを適切に管理することは言うまでもありませんが、顧客企業や投資先などにおけるESGリスクの高まりに対応して、これらステークホルダーのリスク管理を支援していく役割が求められるものと思います。わが国は、現時点では、欧米諸国と比較してESGリスクが顕在化している傾向は見られないものの、保険会社では、ESGリスクに対応する取組みが始まっています。

 

 例えば、大手損害保険会社は、D&O保険の特約として、ESGの取組みが一定の成熟度に達している企業に対し、ESG関連の補償を提供しており、保険の引受けにおいてESG評価の仕組みを導入する取組みとして注目されます。また、大手生命保険会社を中心に、顧客のウェルビーイングを向上する取組みが強化されていることも、ESGリスクへの対応の観点から重要であると考えられます。ウェルビーイングは、人権や社会的公平と並び、ESGないしサステナビリティを推進するマクロ・ドライバーとして理解されています。

 

 保険業は、ESGを重視する風潮が高まる中で、ESGに関連するリスクを認識し、適切に対処していくことが益々求められると思います。
 

以上

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