保険誕生の原点を考える

 国際医療福祉大学 教授 菊池哲郎

 

 

  リスクがあるからこそそれを乗り越えた時、その分実入りも大きくなる。そのリスクが大きすぎて、耐えられない時に、それでも頑張ることを可能にするのが保険誕生の原点だった。そもそも大きなリスクの存在が先行していたわけだが、実はリスクを乗り越えて敢行させるいわば実行者を調子に乗せるところに保険の本質がある。リスクをカバーするに至るのは保険にとっては失敗である。歴史的な時間の経過とともに保険は制度化してまるで社会システムに当然のごとく組みいれられて、今では保険側のリスク回避が商売の本質になってはいまいか。同じようなことは他の商売でも見られることで、なんのために我々はいるのかな?と、原点を気にしてみることはけっこう有用なところもある。

  最近世界の動きは急速に変化しすぎている。どこも目前の変化に追いつくのに必死で、他人のことなど構っていられない雰囲気がある。中国の経済的な成長が早すぎてその無理と矛盾の解消策が外部に及んできたことに全ての原因を帰すことができる。そのせいでアジア諸国全体も改めて急速に成長し始め、先行していたはずの日本も韓国も台湾も香港でさえのんびりしていられなくなった。どこもお互いあれやこれやと弱点を他人や他国のせいにしておかないと、国内政治が持たなくなっている。アメリカでさえその大騒ぎに巻き込まれ国内政治が分裂しそうなのだからたまらない。

  さてこの状況は歴史上まれな巨大なリスクの顕在化である。普段なら依るべき相手であるはずの世界の2大国、アメリカと中国がむしろ人類にとって最大のリスク発生の地になっている。これをカバーするのが今こそ保険の役割ではないだろうか。実はこうした激変は、サイバー空間での国家レベルから個人レベルまでの妨害から詐欺まで日常的なリスクに直結している。日本特有のなんでそんな大金を被害者は持っているのだ(日本の国策のおかげ)という振り込め詐欺とその周辺の犯罪被害、ストーカーや虐待親に殺されるあるいは加害者になってしまうリスク、液状化、原発事故、再稼働できるできない両側のリスク、テロリストの侵入、外れても知らんふりの天気予報リスク、自動運転車に乗るリスク、スマホソフトによる思わぬ被害リスクなどなど新興リスクへの保険対応は極めて不十分ではないか。成立しそうなところからそろそろ実行に移す大きな時の転換点に今いるのではないだろうか。

 

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