慶應義塾保険学会 常務理事
森 保
終戦後12年。戦後処理が一段落した昭和32年(1957年)から43年間の損保業界勤務で体験した大きな変化を二つ挙げると、一つはモータリゼーションに伴う自動車保険の急成長、もう一つは半世紀ぶりの業法改正に伴う損害保険の自由化と言える。損保会社に入社した昭和32年(1957年)頃、標準的な損保会社の保険種目構成は、火災保険5割・海上保険3割・新種保険2割位で、自動車保険は新種保険の中に含まれている程度だった。損保会社の社名に○○火災・○○海上が多い理由である。
1960年代に始まったモータリゼーションを経て、1970年頃の種目構成は、自動車保険+自賠責保険で5割超・火災保険2・5割・海上保険と新種保険が各1割位で、まさに劇的な変化であった。この時期の損保業界は、安定した収支が見込まれる火災保険・海上保険に加え、収支予測と事故処理の難しい自動車保険の拡大に対し、業容拡大の期待とともに、未知なものへの不安も抱いていた。ある上位会社は、自動車保険に積極的に取組まない理由を論文にして発表したくらいである。自動車保険の急拡大は契約管理と事故処理のシステム化、全国的事故処理体制の構築など、損保の経営に大きな変革とその後の業容の急拡大をもたらした。
もう一つの損害保険の自由化は、平成8年(1996年)頃、海外の圧力もあり、半世紀ぶりの業法改正に伴いもたらされた。当時私は損保協会に籍を置いたところだったが、業界共通ルールが前提の規制機関であった協会監査室は解散することになり、各社から迎えた監査人が出身会社に戻れるよう各社を訪問した。保険商品は各社の自由設計となったが、オプションが複雑になり、システムのフォローが追い付かず、結果的に保険金の不払いとなり、問題化したこともあった。
現在、これらに匹敵する変化は少子高齢化による国内市場の見通しの厳しさから来る「合併による規模の拡大」と「グローバル化」の動きだろう。時代は変わり、人材への要請も変わる。これから就職する人は、変化を視野に入れ、自分のやりたいことは何かを良く考え、それに合った努力が必要になるだろう。
以上